人間分母の法則
これといって取り上げることがない日が続いた。
ような気がする。
年初につけ始めた手書きの日記は3月頃に途絶え、
最近また復活したかと思いきや、ここ1週間何も書いていない。
かといって、無理に書く気もしないのである。
最近の日記には、柄にもなく「今日一番の失敗」「今日一番の感動」「明日の目標」を律儀に書いていた。
また、それだけではない。
スマホのメモの方にも、今日達成されたことを事細かく毎日チェックしたりしていた。
進捗管理は大事かもしれない。しかし、記録をつけることそれ自体が怠い。
したがって、続かない。私はこういったことがやりたいわけじゃない。
違う違う、そうじゃ、そうじゃない。
何もなく1日過ごしたというのは、ある意味気のせいである。
今日だって、思い起こしてみれば、
初めてBECKという漫画を読んだりしたし、
トイレ掃除も、皿洗いも洗濯もした。介護の勉強もした。
庭いじりもしたし、散歩もした。ギターを弾いたりもした。
町内会のパトロールにも参加したし、入浴もした。
他にも色々した。そうだ。冷や汁も作った。
果たしてこれは充実しているのではなかろうか。
今やったように、思い起こして書いてみたりすると、なんてことないと思っていた1日がそれなりに達成感を得てもおかしくない日になり得る。
しかし、いちいち記録するのはなかなか骨が折れる。
1日1日はかけがえのないものかもしれない。
大事に過ごすよう努めるのは結構かもしれない。
私が認識して初めて1日は意味のあるものになるのかもしれない。
毎日目標を立て、達成できたかできていないかを確認する、大いに結構である。
しかし、今の私にとって、それは高尚すぎる。
1年はあっという間と言えばあっという間である。
年々時の流れが早まっている感は否めない。
60の親父にそのことを話したら、「もっと早くなるぞ!」との由。
なんでだろうか、と訊くともなく訊くと「60分の1と30分の1(私の年齢30歳前後)の違いじゃないか?」との由。
これに関して、やや、ハッとした。
成程。私たちは年々分母の方を大きくしているのか。成程そういうふうに捉えることもできるか。