phoenixbowya’s blog

現代社会を生き抜いた男の記録

夜勤明け。眠い。

夜勤明けである。

17時から野暮用が入っていて、現在14時近くだから今から本腰入れて寝るというのも何だか気が進まない。

とにかく眠いわけで、意識はあるが、大した意識ではない。さっきまで喫茶店の席で寝てしまっていた。コーヒーをがぶ飲みしたが、これもまたろくなことにはならない、そんなことは知っているが、中学の期末テストの前日のような心境なのだから、許してほしい。

どうせ明日には全て忘れてるのだから。

 

ところで、最近性欲がない、ということに1週間前ぐらいに気づいた。

妻から指摘され、というか責められ、体がついてこないのだと言ったが、なんというか、実は、そんな気もあまりなかったのだ。

女性にとって、性的な行為というのはどういった立ち位置および作用があるものと見ているのか測りかねる。

セックスしないなんて必要とされてないことと一緒。みたいなことを言っていた気がするが、私は男なので結局理解できない。妻はいったい何を言っているというのか。私はこんなにもあなたを愛しているというのに。

セックスがないことがそんなに大変なことなのだろうか。まあ、よい。とりあえず睡眠とタンパク質の摂取。これが私にできる唯一のことである。

男は、結果しか見えないのである。だから男は味気なく、つまらないし、使えない。

男は無能だから序列を作りたがる。

要は男は自分の頭で考えたことがないグズばかりなのだ。

 

この喫茶店は居心地は良いが、常に人がまあまあいて店員がテキパキ動くので、そろそろ出るべきかとソワソワしないでもない。居心地がいいと言ったのは、店内の色合いとか、席の広さとか、椅子の素材とか構造的な意味でだ。

明らかに眠い。やはり近場の銭湯に寄ろうか。ちょっとでもどうしよっかな。ああ、どうすっかな。

 

人間分母の法則

これといって取り上げることがない日が続いた。

ような気がする。

 

年初につけ始めた手書きの日記は3月頃に途絶え、

最近また復活したかと思いきや、ここ1週間何も書いていない。

かといって、無理に書く気もしないのである。

 

最近の日記には、柄にもなく「今日一番の失敗」「今日一番の感動」「明日の目標」を律儀に書いていた。

また、それだけではない。

スマホのメモの方にも、今日達成されたことを事細かく毎日チェックしたりしていた。

進捗管理は大事かもしれない。しかし、記録をつけることそれ自体が怠い。

したがって、続かない。私はこういったことがやりたいわけじゃない。

違う違う、そうじゃ、そうじゃない。

 

何もなく1日過ごしたというのは、ある意味気のせいである。

今日だって、思い起こしてみれば、

初めてBECKという漫画を読んだりしたし、

トイレ掃除も、皿洗いも洗濯もした。介護の勉強もした。

庭いじりもしたし、散歩もした。ギターを弾いたりもした。

町内会のパトロールにも参加したし、入浴もした。

他にも色々した。そうだ。冷や汁も作った。

 

果たしてこれは充実しているのではなかろうか。

 

今やったように、思い起こして書いてみたりすると、なんてことないと思っていた1日がそれなりに達成感を得てもおかしくない日になり得る。

しかし、いちいち記録するのはなかなか骨が折れる。

 

1日1日はかけがえのないものかもしれない。

大事に過ごすよう努めるのは結構かもしれない。

私が認識して初めて1日は意味のあるものになるのかもしれない。

毎日目標を立て、達成できたかできていないかを確認する、大いに結構である。

しかし、今の私にとって、それは高尚すぎる。

 

 

1年はあっという間と言えばあっという間である。

年々時の流れが早まっている感は否めない。

60の親父にそのことを話したら、「もっと早くなるぞ!」との由。

なんでだろうか、と訊くともなく訊くと「60分の1と30分の1(私の年齢30歳前後)の違いじゃないか?」との由。

これに関して、やや、ハッとした。

成程。私たちは年々分母の方を大きくしているのか。成程そういうふうに捉えることもできるか。

 

休職の終わり

休職が終わる。というか実は6月末で終わった。

私は6月末に退職し、7月1日から新しい職を得た。

復職ではなく転職をしたのだ。

 

私はこれまでいろいろな仕事をしてきた。

その中で自分が好ましいと思える人間にも出会ったし、どこまでいっても交わり得ない様な人間にも出会った。

 

散々な場面も見た。

休職を繰り返しながらも会社に残り続ける人を見た。「毎朝吐いてから会社に来ている」と言った人にも会った。牙を折られた若い人や、牙を失ったことをとうの昔に忘れてしまった人も見た。

優しい人ほど損をする場面も見た。心ないことを言うことがプロだと勘違いしてる人を見た。

 

人は一人では生きていけない。

人間は社会的な動物である。

また、今の日本は資本主義であるからして、金をつくらねば、即ちビジネスをやらねばならぬ。

果たして私は今まで幸せそうに働いている人を見たことがない。楽しみは、仕事以外での話だ。

 

私は何が言いたいのだろうか。

私は今の社会にどうやったら失望せずにいられるだろうか。

毎朝吐いてまで働いたその先に、家族や自分の幸せが待っているのだろうか。

休職を繰り返し、抗うつ剤を飲み続け働いたその先に、いい社会が待っているのだろうか。

クレーマーの様な人に手厚く対応し、優しい人を軽んじるのはなぜなのか。

そこまでしてやりたいこととはなんなのだろうか。

目的はなんだ。

金が欲しいだけではないか。

それでいいと変に割り切っていないか。

それが結果あなた自身と、ひいては日本を不幸にしていないだろうか。

あなたはいつ幸せになるのだろうか。

 

人間は一人では生きていけない。

ただ、群れてもろくなことにならない場合も多い。

自律した社会人というのは実際ほとんど見たことがない。自分で何かを選択し行動していると勘違いしている人しかいなかった。もしくは自分では何も考えたことがない人。

群れたり、流行りに飛びついてみたり、そうしているうちに病気にでもなって人生を終えるのだと思う。「俺の人生はなんだったんだろう」「子どもを育てるために働いてるし生きているんだ」

これを無私とでも言いたいのだろうか。否、それは言い訳であり、愚かで虚しい人生である。

 

いい経営者というのも見たことがない。

まず自分ができもしないことを下の者に押し付けて、福利厚生は整えるからあとはやっとけと言わんばかりの態度である。

危なくなったら経営からフェードアウトすればいい。

全てをやってみせろとは言わないが、せめて人間的な魅力くらいは備えていて欲しいものだ。それすらもないのだ。大抵の経営者は目が飛んでいて、変に笑顔で歯を見せてくるから不快だ。基本的に経営者は労働者に馬鹿にされている。ついていきたいと思えるほどの人間力も技術力もない上、カネだけ貰っているのがどうしても理解できないからだ。

私が見た経営者とはそういうものである。

 

私は何が言いたいのか。

一通り今思いついた不平不満は出た。なぜこんな話になったのかもはや思い出せない。前職での出来事はなんとも馬鹿馬鹿しいものが多かったが、会社なんてものはおおよそ馬鹿馬鹿しいものである。これは本当の話だ。

 

 

若い人に対して、希望を示したい。

私が味わったクソみたいな経験を、たとえば自分の子どもにはさせたくない。よしんばしたとしても、そこに滞留させたくない。いくら大企業でもダメなものはダメである。いくら役職がついていようとダメなものはダメである。

カネや序列より心を優先できる様になって欲しいし、私もまたそうなりたいと思っている。

これは容易なことではない。

しかし、そうでなければ、その人の人生は無意味と化すのだと思う。

 

まず自分が輝く。これは自分のためでもあり、やがて恵まれるかもしれない我が子に対してでもあり、社会のためとも言えるかもしれない。

それこそがオトナのツトメではないか。

それこそが自律した社会人ではないか。

と。

 

まず自分が輝く。仕事でも、仕事以外でも。

どんなクソみたいな状況でも、心さえ腐らなければいくらでもできることはある。これは本当の話である。

今回の休職で学んだことである。

何が来ても大丈夫

夜行バスに乗り8時間かけて東京へ。

新宿着午前7時。

実家へ向かう途中にある温泉施設に寄った。

 

はじめて来たその温泉施設は、平日の早い時間ということも手伝って、空いていた。

おそらく1時間くらい温泉やサウナを楽しんだ。その後、お休み処で漫画を読んでいるうちに眠くなり寝た。

起きてから、読みかけの文庫本を読み始め、読み終えた。(『夫のトリセツ』黒川伊保子)

温泉に着いたのが9時ちょうどで、そこからは時計を見ていなかった。

ロッカーに入れてあったスマホを取り出して見ると、午後3時であった。

 

 

私は昨夜から今までを振り返ってみて、

なんだか満足感を得た。

 

 

夜行バスではスマホを見ることも叶わなかった。

故に寝るくらいしかやることがない。

とはいえ、夜行バスではそうそううまく眠れない。

そこでどうしたかというと、音楽を聴いたり深夜ラジオを聴くなどしたのである。

 

今回はどうやら音楽がハマった。

 

こんなに集中して、噛み締めるように音楽を聴くのは、果たしていつぶりだろうかと思った。

何かほかの作業をしながらではなく、ひたすらに音楽だけに意識を向ける時間を、私は最近持っていたか。

いや、持っていなかった。

 

普段、あらゆることに意識を飛ばして忙しくしてしまう癖がある。

また、癖があることを認識したところで、日常的にはどうしても選択肢が豊富なので、目の前のことに集中しているつもりでも、実際そうでもないということの方が多い。

マルチタスクを勧める人はよくいるが、そんなものは勧めるまでもなく、現代人の日常はほぼマルチタスクである。

夜行バスでは選択肢が少ない。それがよかった。目の前の事に没頭させてくれた。

今何かに没頭している時間は、効率的にと思ってあれこれ先走って考えてやっているつもりの時間よりも尊い

 

温泉に着いてから15時現在に至るまでも、スマホや時計を忘れるよう過ごしたのが良かった。

温泉に入りたいだけ入り、休みたいだけ休み、充実した読書の時間も取れた。

その結果、今のこの満足感に至った。

 

今の自分だったら、この心持ちだったら、なんだかとても良い事ができそうな気がする。

正しい判断ができる気がする。

この感覚はかなり忘れがちだが、今日のように、また思い出すこともできる。

できるだけ、この感覚を忘れないようにしたい。

 

さて、もうひとっ風呂、いこうか。

 

 

私の好きなもの100

お題「好きなものを100個、ひたすら書き出してみる」

(2023年5月29日時点)

 

1.生クリーム

2.読書

3.温泉

4.猫

5.人を笑わせること

6.井上陽水

7.色川武大のエッセイ

8.吉井和哉の顔

9.庭いじり

10.深夜ラジオ

11.野菜全般

12.食べること

13.スマホのメモ機能

14.親しい友人との会話

15.肉全般(食べるということ)

16.魚全般(食べるということ)

17.内藤哲也

18.プロレス

19.ラブラブ年配夫婦(イメージ)

20.妻

21.家族

22.ローラ(食事や環境へのスタンス)

23.恐山ル・ヴォワールくらいまでのシャーマンキング

24.漫画太郎

25.スパイスカレー

26.焚き火

27.長良川および長良川鉄道

28.名古屋

29.仙台

30.ランバンのバッグ

31.オニツカタイガー

32.配当金

33.曲をつくってメンバーにいいねと言われること

34.5月の魚沼辺りの新緑

35.牛タン

36.ひつまぶし

37.近場のうまい店を絶えず探ること

38.ストア学派(エピクテトス)

39.中華屋で好きなだけ注文すること

40.蓮爾(登戸)

41.勢得(千歳船橋)

42.地酒

43.大正野郎

44.パン屋で好きなだけ買うこと

45.炊き立ての白米

46.haruシャンプー

47.百年茶

48.妻と選んだ結婚指輪

49.鳴子ホテルのバイキング

50.内村さまぁ〜ず(途中まで)

51.妻が選んでくれたアロハシャツ

52.パーマをかけた自分

53.ネイルをした自分

54.ソリティアで頭の体操

55.おばあちゃんの料理

56.健康

57.親父と男飲み

 

(何日か空きました。もう少し個別にいこうかと。。ある意味被るものが結構出るかと思います。。)

 

58.有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER

59.バナナマンの飯の話

60.ぶたいながき(名古屋)

61.ベーリングプラント(名古屋)

62.蓬莱軒本店の白焼き

63.フグの白子焼き(日間賀島)

64.黄玉(ぶどう)

65.冬恋(岩手のリンゴ)

66.甘平

67.しば田(仙川)

68.はやぶさ温泉

69.ほったらかし温泉の景色

70.武藤敬司のプロレス観

71.B'z稲葉の顔

72.B'z稲葉のまじめさ

73.龍王閣(七尾)

74.浅井健一

75.ザサウナ(長野県)

76.佐野元春

77.大瀧詠一

78.今日1日を思い出して日記につけること

79.自炊で何を作ってやろうか企むこと

80.なかやまきんに君

81.妻と選んだ器

82.ルマンド

83.夏の花火

84.春に山菜を食らうこと

85.かけ流しかつ塩素消毒でない温泉

86.シャワーも温泉

87.同僚と無駄話

88.晴れた日の金沢の風景(暑くなければ尚良し)

89.飲める温泉

90.田舎暮らしの映像を見ること

91.その土地の美味いものを食べること

92.夏にジブリ

93.ベトコンラーメン(中村公園)

94.中村公園周辺の雰囲気(ちょっとマズい感じ)

95.KAZ(中村日赤の定食屋です。少し調べたところ、すでに閉業しているかもしれません。)

96.部屋に植物

97.褒められること

98.薬膳料理(いい感じがするその感じ)

99.好ましい新たな気づき

100.生きているということ

 

 

好きなものを100個あげるのって結構大変なのだと知りました。

でも、考えを巡らせる楽しさもありました。

多分見逃しているものも多分にありそうですが、おおよそ私はこういった人間です。

 

今後ともよろしくお願いいたします。

 

ダイエットホホ・・・

体重は面白いほど落ちない。まあ、落ちるわけがないのだ。てか増えているんだ。

太る原因はなんとなくわかっている。というか、絶対にアレだなというのがある。

認めたくない。でも、認めるしかない。それは毎日のお菓子だ。

 

やめられない・とまらないのは、かっぱえびせんだけじゃない。

あらゆるお菓子は、やめられないし、とまらないのである。また、しょっぱいお菓子を買ったのならば、必ず甘いお菓子も一緒に買う。当たり前の話だ。飲み物はどうするかといえば「ここまできたんだからもう行っちゃいましょう」ということでコカ・コーラ当然そうなる。

お菓子を明日に取って置く、などというちいせえ考えはない。オレは宵越しの菓子は持たないゼ。と、言ってみても全然格好良くないのは承知の助。

破滅とはこのことである。これこそが破滅への輪舞曲(ロンド)である。

 

いつまでもこうしてはいられない。かといってどうしたらいいものか。かなりの、かなりの覚悟がいる。お菓子をやめるなんて...。

タバコはやめたよ。今度はお菓子かい。参ったねどうも。

現代社会とはなんと麻薬に溢れていることか。なんでも試せばいいってもんじゃないナ。試したが最後、やめられなくなる。やめられる人もいるだろうが、やめられない人もいる。そしてやめられない人の方が、多くね?

 

トホホ。。

 

往々にして口では「もうやめた」と言っている人が実は全然やめられておらず、思い出した様に再発するのが現実である。

マリファナやコカインをやめたと言って再逮捕されるラッパー達が好例だ

もちろんそんな例を持ち出すまでもなく、私自信お菓子を何度もやめてはまた食べ始めるということを繰り返している事実がある。

「うまく付き合う」という考え方をしたくなる時がある。しかし、これは通用しない場合が多い。タバコもお菓子も、そもそもうまく付き合えなかったから体や心に不具合を来している訳で、うまく付き合うことができるのなら、そもそもこういうことにはなっていないのだ。

麻薬とは、もう自分ではコントロールできなくなってしまったもの、その全てを指すのである。

ずいぶん思い切ったことを言ったが、きっとそういうことなのだ。

タバコもお菓子もマリファナも、その点において同じである。皆心理的依存である。

わかっていても、やめられないのである。

 

私はお菓子をやめ続け、健康と言えるまで痩せることができるだろうか。

痩せを保てるだろうか。

全く自信がない。痩せたい。保ちたい。でもそれは無理なのかもしれない。

 

。。トホホ。。


 

 

世界を堪能するんだ。あっせんなよ。

今に集中することは大事だ。

しかしなんとなく、イマイチできてない感じがあったのが正直なところ。

私は今休職中で、特に忙しいわけでもない。なのに、なんだか落ち着かない様な感じになることが、しばしばあった。

本を読んでいても、何かの勉強をしていても、なんだか心ここに在らずで、内容が入ってきてない様な感じ。

 

ふと、内藤哲也の動画を見ていたら、

今の内藤哲也を「堪能」してくださいよ!(したり顔) 内藤哲也

 

と言った。

私は最近プロレスにハマったのだが、プロレスラーの中で今一番好きな選手が内藤哲也なのだ。(他にも、小橋や川田も好き)

内藤哲也がどんな選手なのかと言うと、なかなか説明する技量と知識が乏しいのだが、実力があるのになかなか評価されなかった選手だったと言えると思う。そして、一歩踏み出す勇気でもって評価を勝ち取り、制御不能のカリスマとなったのだ。

 

「リスクがあるのは当然の話。失敗してしまう危険性もある。

でも、何かを変えたいのであれば、リスクを恐れずに一歩前へ出ることが一番大事なんじゃないかと、俺は思います。

その考えを持っている俺の姿から、一歩踏み出す勇気を皆様にお届けできたらなと思います。」 内藤哲也

 

 

「堪能」の言葉の意味は正確にはわからなかったが、内藤の口から聞くことによって、

「今を存分に味わい、感じ、噛みしめること」だと解釈できた。

 

雷に打たれた感じ。とは言わないまでも、私の中で「堪能する」という言葉がじわじわと効いてくる感じを得た。

そして、今に集中するとは即ち今を堪能することだと知った。

これが悟りか。とは言わないまでも、この感覚がかなり大事だということに変わりはなさそうだった。

 

そして、効果は絶大。

なにか作業を始める時、たとえば読書する時、

「この本を堪能しましょうよ(したり顔)」と心の中(の内藤)で言うだけで、本の内容の入り方が全然違う感じがしたのだ。

もちろん読書だけではない。私は最近朝起きたら、今日の天気を「堪能」するようにしている。

晴れなら晴れを。雨なら雨を。「堪能しましょう(したり顔)」と思うだけで、世界の味わい方が全然違って思えた。

 

「今に集中する」と言ってみるよりも、「今を堪能する」と言った方が、今に集中することに加えて、自分なりの楽しさをそこに見出そうとする姿勢が宿る感じがあって、それがとても良い。

また、「今を楽しむ」より「今を堪能する」の方が、なんとなく味わい深い様な感じがするのだ。

 

 

最後は内藤風に締めくくりたい。(知っている方は、内藤が言っている感じで読んでみてください。まだ内藤のことを知らないという方は、是非youtubeなどで内藤哲也を味わってみてください。初めのうちは拒否反応があるかもしれませんが、慣れたらきっと、ファンになることでしょう。)

www.youtube.com

www.youtube.com

 

 

(以下、内藤風で記す)

漠然とした不安、焦燥感は次から次へと湧いてくることでしょう。

もちろん、明日どうなっているのか、1年後どうなっているのか、気になることもあるでしょう。

でも、結局人は今を生きるしかないわ・け・で。

今を堪能し充実させることこそ、無駄な焦燥感を打ち消し、やりたいことを実現させることにつながるんだと、俺は思うんでね。

今を堪能し、積み上げたその1年後に俺はどうなっているのか!?3年後は!?5年後は!?10年後は!?

その答えは、、、!!もちろん、、、!!

トランキーロ!!!!!あっせんなよ!!!!(焦んなよ)