休職の終わり
休職が終わる。というか実は6月末で終わった。
私は6月末に退職し、7月1日から新しい職を得た。
復職ではなく転職をしたのだ。
私はこれまでいろいろな仕事をしてきた。
その中で自分が好ましいと思える人間にも出会ったし、どこまでいっても交わり得ない様な人間にも出会った。
散々な場面も見た。
休職を繰り返しながらも会社に残り続ける人を見た。「毎朝吐いてから会社に来ている」と言った人にも会った。牙を折られた若い人や、牙を失ったことをとうの昔に忘れてしまった人も見た。
優しい人ほど損をする場面も見た。心ないことを言うことがプロだと勘違いしてる人を見た。
人は一人では生きていけない。
人間は社会的な動物である。
また、今の日本は資本主義であるからして、金をつくらねば、即ちビジネスをやらねばならぬ。
果たして私は今まで幸せそうに働いている人を見たことがない。楽しみは、仕事以外での話だ。
私は何が言いたいのだろうか。
私は今の社会にどうやったら失望せずにいられるだろうか。
毎朝吐いてまで働いたその先に、家族や自分の幸せが待っているのだろうか。
休職を繰り返し、抗うつ剤を飲み続け働いたその先に、いい社会が待っているのだろうか。
クレーマーの様な人に手厚く対応し、優しい人を軽んじるのはなぜなのか。
そこまでしてやりたいこととはなんなのだろうか。
目的はなんだ。
金が欲しいだけではないか。
それでいいと変に割り切っていないか。
それが結果あなた自身と、ひいては日本を不幸にしていないだろうか。
あなたはいつ幸せになるのだろうか。
人間は一人では生きていけない。
ただ、群れてもろくなことにならない場合も多い。
自律した社会人というのは実際ほとんど見たことがない。自分で何かを選択し行動していると勘違いしている人しかいなかった。もしくは自分では何も考えたことがない人。
群れたり、流行りに飛びついてみたり、そうしているうちに病気にでもなって人生を終えるのだと思う。「俺の人生はなんだったんだろう」「子どもを育てるために働いてるし生きているんだ」
これを無私とでも言いたいのだろうか。否、それは言い訳であり、愚かで虚しい人生である。
いい経営者というのも見たことがない。
まず自分ができもしないことを下の者に押し付けて、福利厚生は整えるからあとはやっとけと言わんばかりの態度である。
危なくなったら経営からフェードアウトすればいい。
全てをやってみせろとは言わないが、せめて人間的な魅力くらいは備えていて欲しいものだ。それすらもないのだ。大抵の経営者は目が飛んでいて、変に笑顔で歯を見せてくるから不快だ。基本的に経営者は労働者に馬鹿にされている。ついていきたいと思えるほどの人間力も技術力もない上、カネだけ貰っているのがどうしても理解できないからだ。
私が見た経営者とはそういうものである。
私は何が言いたいのか。
一通り今思いついた不平不満は出た。なぜこんな話になったのかもはや思い出せない。前職での出来事はなんとも馬鹿馬鹿しいものが多かったが、会社なんてものはおおよそ馬鹿馬鹿しいものである。これは本当の話だ。
若い人に対して、希望を示したい。
私が味わったクソみたいな経験を、たとえば自分の子どもにはさせたくない。よしんばしたとしても、そこに滞留させたくない。いくら大企業でもダメなものはダメである。いくら役職がついていようとダメなものはダメである。
カネや序列より心を優先できる様になって欲しいし、私もまたそうなりたいと思っている。
これは容易なことではない。
しかし、そうでなければ、その人の人生は無意味と化すのだと思う。
まず自分が輝く。これは自分のためでもあり、やがて恵まれるかもしれない我が子に対してでもあり、社会のためとも言えるかもしれない。
それこそがオトナのツトメではないか。
それこそが自律した社会人ではないか。
と。
まず自分が輝く。仕事でも、仕事以外でも。
どんなクソみたいな状況でも、心さえ腐らなければいくらでもできることはある。これは本当の話である。
今回の休職で学んだことである。