スマートな忙しさ
何かをやろうとしていたが、忘れてしまった。
スマホ、スイスイ。
気になったらすぐ調べる習慣を得て、失ったものはなんだろう。
何かあったらすぐ知らせてくれる通知機能によって、失ったものはなんだろう。
それが「心のゆとり」だとしたら、スマホをやめることを真剣に考えてもいいのかもしれない。
世間では普通に使われているものが、人によっては合わないこともあると思う。
わかっていてもやめられないことの代表的なものに、煙草がある。
煙草をやめるのは容易でない。
しかし、煙草よりもやめるのが難しいものに、「スマホを触る」というものがある。
煙草を禁じるのを「禁煙」と言うのなら、
スマホを禁じることを「禁スマ」と言ってもなんら差し支えないだろう。(若干、ダサいかもしれない。今思いついてしまって、とめられなかっただけです)
まあ言葉はなんでもいいけれど、とにかく禁スマはかなり難しい。
現代に生きている以上、今あるテクノロジーに遅かれ早かれ従わなくてはならない。この先もずっと。
それが面倒だ。
個人の意思で取捨選択ができるそぶりをされながらも、実際には結局いいように流されている。スマホに懐疑的だった人も結局スマホを使うようになる。そういうものだ。
だから、どうせ使うのなら早めに導入しておこう、という動きも当然の如く出てくる。
他に遅れを取らない様に。 理解は、できる。
遅れを取るほど、世間に取り残されていき、不利になり、つぶされる。そんなことあってはならない。と。 理解は、できる。
しかしその一方で、そんなことばかりで本当にいいのか、と思うときがある。
この無駄な焦燥感はなんだ。
この忙しい感じはなんだ。
なぜ私はこの通知のいちいちに反応を示さなければならないのか。
なぜ私はこんなにもこの画面を見なければならないのか。
私は最近心から安らいだことがあったか。
スピードが、生きづらいほどに速くはないか。
スマホのせいにしすぎている節はある。ただ、どうしても思わないわけにはいかない。
スマホを見ているのは自分であり、別に見なければいいだけのことである。
あらゆる道具は使い方次第である。
わかっている。しかしそれは半ば無理な相談だし、ある種詭弁である。
仕事のメッセージを私の権限でシカトできるか。いや、できない。
仕事相手がこちらに気を遣ったペースでメッセージができるか。いや、できない。
やめようとしてもやめられない。それだけだ。
みんなもうリアルタイムでのやりとりが当たり前だし、手元ですぐ調べる癖もついてしまった。
中毒性がある。
できるから、やる。それだけである。
できるのにやらなければ、なぜやらないのかと問われる。
細かく細かく、ちまちまと対応することが求められる。
面倒である。これだからスマホのことが嫌いだ。本当は要らないが、時代がそれを許さない。
結局、スマホがある方がどう考えても忙しいのである。
鷹揚な人を見なくなったのは気のせいか。
最近の流行りは、煙草も吸わず、クレバーで、ITに明るい、そういう人間だ。
結構なことだ。
ただそれは、面白いのだろうか。
幸せなのだろうか。
ITがない時代に生まれ死んでいきたかったと本気で思う時がある。
どうせなきゃないで、なんとかやるんだし。
といいつつ、次の瞬間私はスマホを触っている。
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